戦国時代に嫌気がさした上杉謙信

「上杉謙信」という人物は、戦国時代の大名の中で特に謎多き人物として描かれることが多い人物。「本当は女性だったのではないか」という説もあるくらいミステリアスな人です。

そして、現代はどうか知りませんが、最低でも明治前後までは、上杉謙信が統治した新潟の民からの「謙信公」に対するリスペクトは強かったようです。そのせいで、江戸時代の始まりに上杉家から新潟の統治を引き継いだ徳川の家臣だった大名は、民の上杉謙信びいきに明治時代まで統治するのに困ったそうな・・・。

また、「戦争の天才」「軍神」「毘沙門天の生まれ変わり」など、様々な尊称を持って知られる上杉謙信。山梨県の武田信玄さえいなければ、天下を統一したのは彼だったのではという声は少なくありません。

さてさて、そんな上杉謙信ですが、天才であるがゆえに(?!)ほかの大名としてはあまり見ないことをやっています。

それが、「城も家臣も領民も捨てた」事件です。

彼は、武田信玄との5度に渡る戦争の真っただ中、信玄との戦いが膠着状態になった頃に、自国での家臣の内部抗争や同盟関係にあった豪族の裏切りなど、イライラが募ったようで、いきなり、毘沙門天堂に籠ったのです。すると、家臣たちに出家すると伝え、高野山を目指して城を出たのです。つまり、上杉謙信は城と家臣を捨てたということです。

家臣たちは、大慌てで謙信を連れ戻しに追いかけて、高野山の前で謙信を城に連れ戻すことに成功したようです。この一連の期間の長さは確かではありません。出家の前にすぐに連れ戻したという説もあれば、謙信は出家ししばらく籠っていたという説もあります。

尚、家臣たちは「二度と裏切りません」という主旨の誓書を謙信に差し出して事なきを得たことから、これは謙信の計算だったという説があります。

もし計算だったとするのであれば、予断を許さない戦国の世で、この賭けはかなり危険な賭けだと思います。もう少し違うやり方があったのでは。

このお話し、当時の領民が聞いたら、どう思ったでしょう。





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